能登演劇堂について

 仲代達矢氏率いる無名塾と七尾市中島町との交流によって生まれた演劇専用ホールです。
 
 1995年(平成7年)5月12日に開館。名誉館長に仲代達矢氏が就任。

 舞台奥の大扉が開くと、能登の雄大な自然が広がっており、舞台と一体となる世界的にも珍しい舞台機構が特徴となっています。

 年間を通して毎年秋の無名塾公演をはじめ、多彩な公演を上演しています。
 

 
 
 

無名塾とのつながり


 昭和58年、仲代氏の妻(隆巴)とその母を連れて家族旅行で能登を訪れた仲代達矢氏が、知り合いを訪ねて旧・中島町(現・七尾市中島町)に立ち寄りました。
 
 波静かな内湾の景色、黒一色の瓦と白壁の蔵が織りなす町並みを前に、ふと「能登本来の美しさを発見することが文化なんだね。こんなところで、無名塾の合宿ができたら」とつぶやいたことがきっかけとなり、昭和60年、無名塾の能登中島合宿がスタート。合宿は開館後の翌年までおよそ10年に及びました。
  
無名塾と町民のこの合宿を通しての交流により、町民の演劇への想い、演劇によるまちづくりの構想が高まり、感動した仲代達矢氏が監修を引き受ける形でホールの建設が実現しました。

 開館後から現在に至るまで、能登演劇堂を「演劇のまちづくり」の拠点とし、その代表格として、無名塾によるロングラン公演を数年ごとに定期開催しています。中島町から七尾市へ合併後は、より広域から市民エキストラ、ボランティアスタッフが集い、一丸となってつくりあげる舞台に、全国各地から数多くの方々に能登を訪れていただいています。
 

2004年 第3回ロングラン公演「いのちぼうにふろう物語」
2009年 第 4回ロングラン公演「マクベス」
 

 
 

仲代達矢 氏

 
 

 
 1932年、東京生まれ。
 
幼い頃から映画に憧れたが、父親が病弱で早逝したため家計は苦しく、第二次大戦下に過酷な幼少期を過ごす。戦後、解禁となった洋画をはじめ、貪るように映画を観る青春時代の中で俳優を志し、俳優座付属養成所に4期生として入所。千田是也に師事し、「ハムレット」「四谷怪談」など多数の舞台に出演した。映画界では小林正樹監督に見いだされ、「黒い河」「人間の條件」「切腹」などに出演、黒澤 明監督「用心棒」「影武者」「乱」、また成瀬巳喜男、岡本喜八、市川崑、五社英雄など、日本を代表する名監督の作品に多数出演し、舞台と映画を両輪としてキャリアを重ねた。アカデミー賞と世界三大映画祭(カンヌ・ヴェネツィア・ベルリン)の全てで出演映画が受賞した実績を持つ。
 
近年は若き才能と組んだ作品も多く、小林政広監督「日本の悲劇」、稲塚秀孝監督「NORIN TEN—稲塚権次郎物語」など。テレビドラマの代表作では「新平家物語」「大地の子」ほか多数。
 
俳優を育成する私塾「無名塾」を、亡き妻・宮崎恭子(女優・脚本家・演出家)と共に1975年に設立。次代を担う俳優を数多く育て、また、塾員・塾生と共に無名塾公演で全国を巡演。「どん底」「リチャード三世」「ドライビング・ミス・デイジー」などの舞台で、芸術選奨文部大臣賞、毎日芸術賞、紀伊国屋演劇賞、読売演劇賞ほか数々の賞を受賞している。
 
2007年文化功労者。勲四等旭日小綬章、川喜多賞、朝日賞など受章多数。
2015年文化勲章受章。
 

 
 

 
全国的になじみのある呼び名「能登」を冠に、「演劇」のための空間であること、そして祈りの意をもつ「堂」を用い、能登からの演劇文化の発信をめざして「能登演劇堂」と命名されました。